非常識な認識を「常識」と信じて疑わない人は、信じられないほど非常識な行動に出る。

 前々回で説明したとおり、私はコミケ会場で、S社員から、二次創作同人誌に関するS社の動向を聞き出した。
 私はその情報を二次創作を中心に活動する同人作家たちに流したのだが、それをまともに理解する人間は、恐ろしく少なかった。これは前回で説明したとおり。

 私の話を聞いて、単にびっくりするとか、怪訝な顔をする程度のリアクションなら可愛いもの。
 恐ろしいのは、想像もしないような斜め上の行動を始める人々である。

 私の話の何をどう解釈したのかわからないが、私のプロとしての経歴について難癖をつける人。これが何故か多い。
 私は同人誌の作成を止めろと言ったのではなく、取り締まりがあるかもしれないから注意しろという話をしたに過ぎないのだが、どうも、私が同人誌を取り締まろうとしている当事者だと短絡的に考える人が多かった。
 だから、私に対する個人攻撃をすれば、取り締まりもなくなるという論法を展開する。

 さらには、件のS社員に対して難癖をつける同人作家もいた。
 私が同人作家たちにS社の情報を流したのはコミケ会場であり、S社員はまだその場にいたのであるが、そのS社員に嫌がらせをすれば解決するという、これまた浅薄な考えに基づいて行動する。
 版元を怒らせてどうするのか、と私が咎めても、まったく聞く耳を持たない。

 最悪なのが、コミケの運営側にいたある人物の行動である。
「Ⅰ氏(仮名)」はコミケスタッフであり、どこかで話を聞いたのか、S社員をめぐって同人作家が問題行動をしている現場に現れた。
 私はコミックマーケット準備会の内情には詳しくなかったためI氏のことはよく知らなかった。が、周囲の同人作家たちの反応から、どうも大物らしいということには気が付いた。
 私としては、少しホッとした。
 コミケのスタッフ側で、業界に詳しいのであれば、当然、二次創作同人誌の法的に微妙な立ち位置のことくらいわかるだろう。
 このI氏に事情を説明して、S社とS社員を刺激しないように、同人作家たちに指導してもらおう。
 実質的に個人事業主である同人作家が、もしも大手出版社であるS社に告訴でもされたら、おそらくひとたまりもない。
 このリスクは、常識的に理解できるはずだ。

 そう考えた私が甘かったのだろうか?
 私の話を聞いたI氏は、何を思ったか、S社員に近づくとこう言った。
「訴えられるもんなら、訴えてみろ」

 訴えられるもんなら訴えてみろ、だって!?
 挑発してどうするんだ!
 当然というかなんというか、S社員は呆然。
 私も開いた口が塞がらなかった。

 それで、食ってかかると、I氏は自信満々にいわく
「プロの漫画家だって同人誌を作ってるんだ。だから、訴えることなんてできるわけがない!」

 ……いやその、なんだそれ。
 こうやって挑発なんかしたら、S社側の面子が丸つぶれになる。下手すりゃ全面戦争じゃないか。
 もう付き合っていられない。

 私の剣幕に驚いたのか、それとも、何かを勘違いしたのか、I氏は青封筒(注:スタッフや大手サークル代表に与えられる、特別な参加申し込み封筒)を差し出したが、私はそれを突き返した。
 私は物乞いではない。
 あまりにも不愉快だったので、私はI氏が何をやったのか、経緯を他のコミケのスタッフに報告して、その場を去った。

 それから何年かあと、S社が版権を持つ、ある国民的漫画の同人誌を発行した同人作家が、S社から著作権侵害を指摘されて、本を破棄する事件が起きた。
 その事件が果たして、私が遭遇したS社員と同人作家たちの一件と関係があるかといわれると、もはや確認する方法がないので「不明」である。
 後になって分かったことだが、そのS社員は、S社の「法務部」に所属していたようである。
 コミケのI氏はというと、今も準備会にいる。

 ここで自分の個人的な見解をいうと、私は二次創作の同人誌が決して嫌いではない。
 若いころは、月刊ファンロードや月刊アウトに掲載された二次創作を楽しんでいたクチであり、むしろ二次創作が法的に(ある程度)許容されるべきと考えている。
 私は先のS社員の話を聞いて以降、二次創作についてのガイドラインの策定や、法的な許容範囲を明確にすべきという提言をしていた。提言をした相手はプロの漫画家だったり編集者だったり、ゲーム会社社員だったりといろいろである。
 しかし、その活動も、2004年ごろには放棄してしまった。
 というのは、私への誹謗中傷が絶えなかったからである。
 同人作家たちが心置きなく創作活動に励めるようにと始めた活動が、当の同人作家たちから見ると「難癖をつけられている」としか解釈されなかったようである。
 彼らは結局、自分たちの常識が誤りであることを認めなかったのだ。

 我ながら報われない話だが、これが私の経験した泥仕合の一つである。

 その1より続き。
 前回のおさらいから始める。
 二次創作同人誌を取り締まろうというS社の動きに対して、私はとりあえず、同人作家たちに情報を伝えることに決めた。
 問題の先送りにしかならないが、取り締まりの対象になるような二次創作同人誌が市場に出回らなければ、しばらくは誰も傷つかないと踏んだのだ。

 ところが、これが予想以上に難しかった。
 というのは、たまたま知り合った二次創作同人作家にこの話をしても、話の出だし、というか、前提となる知識の段階で話が平行線になってしまうのだ。

「二次創作の同人誌は、法的にグレーゾーンである」
「そもそも出版社は、おおむね、二次創作を快く思っていない」
 この二つの情報を伝えたところで、拒絶反応を示す人がほとんどだったのだ。

「みんなやってることなのに、何が悪いんだ?」
「同人誌は宣伝になるから版元も喜んでくれるという話を聞いた! だからお前の話は間違いだ!」
 一番多かったリアクションは、この2つ。
 それも、ヒステリックに「二次創作の権利」を主張してくる人がゴロゴロ。
 いや、ちょっと待て。

「同人誌は宣伝になるから版元も喜んでくれる」という説は、90年代の同人誌界隈でしばしば囁かれた話だが、その根拠はどこにあるかというと、単に同人作家が自分でそういっているだけである。
 つまり、法的な根拠はどこにもない。
 私が話をした同人作家は十名はいたと思うが、前提の段階で、ほぼ全員が間違っていた。
 いや、なんだこれ。
 私は唖然とするしかなかった。

 世の中の法律は、白か黒かをはっきり決めずに、グレーゾーンが存在することが多い。
 法律には解釈の余地を残し、完全に合法かどうかは疑問が残るが、非合法とも言い切れない、そういうあいまいな境界線が残されているのだ。
 人間という生き物は決して道徳的に「正しい」とはいえず、かといって「邪悪」ともいえない。
 白黒はっきり決めてしまうと、かえって不合理になることも多いのだ。
 つまり、社会的にみて好ましいこととは言えないが、取り締まるほど悪くもないことは、意図的に「お目こぼし」をすることで、余計なコストを避けているのである。
 ぶっちゃけ、出版社側の本音をいうなら、取り締まる費用だって無料じゃないのだし、損害が小さな違法行為は、意図的に見て見ぬふりをするという判断もアリなわけだ。

 しかし、何事にも程度というものがある。
 お目こぼしをしてもらったからといって、それが当然の権利だと思われては困る。
 実害に及ぶようになったから、前回話したように、S社の社員が出張ってくる事態になったのだ。

 目の前に非常に面倒くさい問題が迫っている。
 これを正しく認識している同人作家は、驚くべきことに、ほとんどいなかったのである。
 彼らは、仲間内の常識が出版社には非常識であることに気が付いていなかった。
(つづく)

 この世には70億を超える人間がいる。
 そして、同じ数の「常識」がある。
 常識とは、人が人生に於いて積み重ねた「偏見」や「思い込み」を総合したものに過ぎない。
 ある特定の業界で通じる「業界の常識」や、ある特定の社会で通じる「社会の常識」もあるが、つまるところ、人が自分で常識だと思っているのは、自分と、自分の周辺にいる人間との間に存在する共通した偏見と思い込みのことである。

 自分では常識だと思っている知識が、致命的に間違っている。そんな人間は、しばしば、自分の誤りを認めない。
 というか、間違いに気が付かないような人間とばかり付き合っているので、間違いが相互で増殖して、取り返しがつかないほど間違っている状態になる。
 そうして、仲間内の常識はしばしば世間の非常識になっている。
 非常識を自覚しない集団に向かって、外部の人間が「それって変じゃない?」というのは、困難が伴うのだ。そう、つまり、泥仕合だ。

 世の同人誌は二次創作が非常に多いけれど、本来的に二次創作は、著作権を持っている当人が許可しているのでなければ、本来的にグレーゾーンであり、明確に「不許可」を宣言すれば、ブラックである。現状では。
 これは法律上の常識である。
 ところが、二次著作の同人誌を発行している同人作家は、しばしばこのことを認めない。
 これが、たいへん面倒くさい事態を引き起こすのだ。

 ライターとして活動していたころ、私は少し頭が回ることで知られていて、ときおり、編集者や出版業界関係者から相談を持ち掛けられることがあった。
 2001年だったか、2002年だったか、正確な時期は覚えていないが、ある年のコミケで会場をうろついていると、大手出版社S社の社員を名乗るスーツ姿の男性から、一つの相談をされた。
「同人作家に二次創作を止めさせる方法は何かないだろうか?」

 彼の話は、要約するとこういうことだった。
 彼によると、二次創作エロ同人の問題は、版元の方がPTAを始めとする団体に叩かれるということらしい。
 たとえば、子供のいる主婦が、書店でS社の子供向けの漫画を見かけて、買ったとする。
 ところが、その「子供向けの漫画」は、主婦が内容を確認すると、エロ漫画だった。正確にはエロ同人誌だったとしよう。
 その主婦は、その後、どうするか?
 彼女は同人誌の存在なんて知らないので、エロ同人誌の発行元はS社だと断定する。
 そして、S社にクレームをつけるのである。
 さらに、その主婦がPTAにエロ同人誌を持ち込んで「S社は子供向け漫画でこんなものを描いている」と告発(!)したとしよう。事態はもっと深刻になる。
 PTAの代表が、同人誌を片手にS社に押しかけて「責任者を出せ!」と受付ににじり寄るわけだ。
 S社は子供向けの教材や出版物で利益を得ており、PTAを怒らせるのは死活問題である。だから無視するわけにはいかない。しょうがないので、最初は漫画の担当編集者、次は編集長、その上司、そのまた上司と呼び出されて、説明をさせられることになる。
 しかしいくら説明しても、同人誌の概念をPTA代表に理解してもらうことはできない。
 理解したとしても「それを取り締まるのはS社の責任」と強弁してくる。
 結局はS社が責められる。
 もちろんPTAの相手をしているS社の社員は、本来やるべき自分の仕事ができない。
 二次創作同人誌の責任を、S社で取らされるのは、たまったものではない。

 そういうわけで、そのS社社員の相談に戻るのである。 
 私の知人には同人作家がけっこういて、先に話題にした漫画家のA氏も二次創作エロ同人で食ってる状態だった。そういう人たちから飯のタネを奪うわけにはいかない。
 しかしS社の言い分もわかる。
 それはそれとして、S社社員の話を聞いているうちに気が付いたのは、おそらく近年中に、何らかの取り締まりが行われるであろうということだった。

 私はとりあえず、S社社員の話を適当に相槌を打って終わらせると、この情報を拡散させることに決めた。
 S社にとっても、本心では手間のかかる取り締まりなどやりたくないのだ。
 同人作家側としては、告訴されて罰金支払いなどしたくないだろう。
 というわけで、同人作家たちに情報を拡散して、S社が版権を持っている漫画の二次創作同人誌を当分は自粛した方がいいと伝えることにした。
 問題を先送りしてるだけなんだが、誰も損をしない無難な選択ではある。
 ところが、これが予想外の困難にぶち当たるのである。

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