人は、自分の願いどおりのことを信じる。
 そういったのは確か、ローマのカエサルだっただろうか。同じような発言を、過去のさまざまな偉人がいっているので、オリジナルが誰の言葉なのかははっきりしない。
 この言葉に示される真実は、当たり前といえば当たり前だが、なかなか自覚できないものだ。特に、当人にとっては。
 私は過去に、詐欺師の話をしたけれど、詐欺師に騙されている人に向かって、真実はこうだと教えることは、しばしば非常に困難だ。詐欺師は人が望んでいる嘘をつくからだ。
 ネットでは、政治、経済、サブカルチャーなどの各分野で、大小さまざまな議論が沸き起こっているけれど、これらの議論によって他人の考えが変わるということは、まずあり得ない。相手の願望を理屈で崩すことは不可能だからだ。
 そんな困難なことを、やらないといけない状況というのは、最初から泥仕合が確定している。
 できれば避けたいものである。

 ――と、そう思いながらも、私は過去何回も、そのような状況に直面している。
 詐欺師を告発し、騙されている人に真実を教えようと悪戦苦闘したのは、まさしく泥仕合だった。
 私がこれまで話してきた、そしてこれからも話し続けるであろう話は、そうした泥仕合の記録である。

 A君の事業は多額の借金を抱えて破たんした。
 なぜかといえば、当たり前である。

 最初からK氏はA君の金を巻き上げることが目的で事業を始めたのだから、この結果は当たり前である。だが、それでも回避方法がなかったわけではない。
 A君が、従業員であるK氏の業務上の出金、入金を必ずチェックしていれば、そうそう不正は通らないはずである。そして、そうするべきだった。
 ところがA君は、事実上、K氏に事業を丸投げしており、必要経費が幾らなのか、粗利が幾らなのか、税金が幾らなのか、最終的な利益がいくらなのか、そうした情報をチェックしていなかった。
 これでは不正のやり放題である。
 どこで金を横流しされても、告訴も何もできない。

 私は、半ば絶縁状態になった時期に、その問題をA君に指摘したことがある。
「君はちゃんと事業の経理をチェックしているのか?」と。
 しかし彼は鼻先で笑って「人を信じることの大切さ」について説教を始める始末だった。
 私の話はまったく信じないのに、自分に都合のいい話は全面的に信じるというのは、ただの怠慢なのだが、彼はついにそのことに気が付かなかった。
 彼が、自分の成功が蜃気楼だと気づいたのは、業務用の銀行口座からお金が消えたあとだった。
 こうして、彼の事業は破綻してしまった。

 これは、あまりにもあり触れていて新聞にも載らないような、ちっぽけな事件だ。
 その結果、一人の漫画家とその周辺の人間が破滅しても、世界の歯車が止まることはない。
 彼は現在、仕事仲間の大半から絶縁されて、それでもなお他にできる仕事もないので、漫画家という仕事にしがみついている。
 これから彼がどうなるのかは、多分、私が気にするべきことではないのだろう。


 これまで見てきたように、私はA君の能力が向上しないことが不満であったし、A君がその状態に安穏としていることが不愉快だった。何事も、やるなら頂点を目指すべしというのが私の信条であり、それに従うなら、A君は単に堕落したに過ぎなかった。
 A君からすれば、同人誌で経済的に金が回るようになったところがゴールみたいなものだった。
 彼からすれば、同人誌が売れた段階で人生の成功者のつもりだったのだ。
 その認識のギャップが、最終的に問題の解決を不可能にした。

 お金がある人間のもとには、様々な思惑の人間が集まってくる。たいてい悪意だが。
 その中に、詐欺師が混じっているのは茶飯事である。
 前に話したように、詐欺師はカモに好かれる努力をする。
 A君は、そうした詐欺師の1人にあっさり騙されてしまった。

 あるときのコミケで、私はA君から一人の男を紹介された。仮に名前をK氏としよう。
 A君の話では、彼はおもちゃ会社を立ち上げてそれで一旗あげるつもりらしい。
 そのK氏というのは、その協力者であり、社員だという。
 ところが、そのK氏は最初から怪しかった。
 なぜなら、K氏はA君がいないところでは、自分の取り巻きと一緒にA君のことを笑いものにしており、「アイツの金は俺たちのもんだ」などと、うそぶいていたからだ。
 怪しい。あまりにも怪しすぎる。誰だってそう思うだろう。
 私はA君に、K氏が怪しいことを伝えた。そのときK氏はすぐ隣にいて、その表情は、明らかに歪んでいた。絵に描いたような「悪事が露見した悪役の顔」をしていたのだ。
 やはり、最初からA君のお金が目的で近づいてきたのだと私は確信した。
 しかし――
 残念ながら、A君は私ではなく、K氏の方を信用してしまった。
 A君は私の話を言いがかりとしか認識せず「お前はそんなに俺が憎いのか」などと、まくし立てて、私を非難した。
 ところでK氏は、A君の後ろで吹き出しそうな顔をしていた。よほどA君が滑稽だったのか、私にざまみろといいたいのか、多分、両方だろう。
 この記事の最初に述べた通り、私から見てA君はただの未熟者であり、A君の自己認識とはズレがあった。A君にとって、K氏も、その取り巻きも信頼できる友人であり、ビジネスパートナーであった。その虚構を指摘されることは、彼には耐えられなかったのだ。

 その後、A君と私はほとんど絶縁状態になった。
 それから、彼の周りには様々な不審な出来事があったようだが、それを彼は「私の仕業」ということにしてしまった。彼の自意識では、私は成功者に嫉妬する凡人ということになっていた。

 現実はそうではなかった。
 A君の事業は、十数年後に、多額の借金をかかえて破綻した。(つづく)

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