無自覚な非常識 その3
非常識な認識を「常識」と信じて疑わない人は、信じられないほど非常識な行動に出る。
前々回で説明したとおり、私はコミケ会場で、S社員から、二次創作同人誌に関するS社の動向を聞き出した。
私はその情報を二次創作を中心に活動する同人作家たちに流したのだが、それをまともに理解する人間は、恐ろしく少なかった。これは前回で説明したとおり。
私の話を聞いて、単にびっくりするとか、怪訝な顔をする程度のリアクションなら可愛いもの。
恐ろしいのは、想像もしないような斜め上の行動を始める人々である。
私の話の何をどう解釈したのかわからないが、私のプロとしての経歴について難癖をつける人。これが何故か多い。
私は同人誌の作成を止めろと言ったのではなく、取り締まりがあるかもしれないから注意しろという話をしたに過ぎないのだが、どうも、私が同人誌を取り締まろうとしている当事者だと短絡的に考える人が多かった。
だから、私に対する個人攻撃をすれば、取り締まりもなくなるという論法を展開する。
さらには、件のS社員に対して難癖をつける同人作家もいた。
私が同人作家たちにS社の情報を流したのはコミケ会場であり、S社員はまだその場にいたのであるが、そのS社員に嫌がらせをすれば解決するという、これまた浅薄な考えに基づいて行動する。
版元を怒らせてどうするのか、と私が咎めても、まったく聞く耳を持たない。
最悪なのが、コミケの運営側にいたある人物の行動である。
「Ⅰ氏(仮名)」はコミケスタッフであり、どこかで話を聞いたのか、S社員をめぐって同人作家が問題行動をしている現場に現れた。
私はコミックマーケット準備会の内情には詳しくなかったためI氏のことはよく知らなかった。が、周囲の同人作家たちの反応から、どうも大物らしいということには気が付いた。
私としては、少しホッとした。
コミケのスタッフ側で、業界に詳しいのであれば、当然、二次創作同人誌の法的に微妙な立ち位置のことくらいわかるだろう。
このI氏に事情を説明して、S社とS社員を刺激しないように、同人作家たちに指導してもらおう。
実質的に個人事業主である同人作家が、もしも大手出版社であるS社に告訴でもされたら、おそらくひとたまりもない。
このリスクは、常識的に理解できるはずだ。
そう考えた私が甘かったのだろうか?
私の話を聞いたI氏は、何を思ったか、S社員に近づくとこう言った。
「訴えられるもんなら、訴えてみろ」
訴えられるもんなら訴えてみろ、だって!?
挑発してどうするんだ!
当然というかなんというか、S社員は呆然。
私も開いた口が塞がらなかった。
それで、食ってかかると、I氏は自信満々にいわく
「プロの漫画家だって同人誌を作ってるんだ。だから、訴えることなんてできるわけがない!」
……いやその、なんだそれ。
こうやって挑発なんかしたら、S社側の面子が丸つぶれになる。下手すりゃ全面戦争じゃないか。
もう付き合っていられない。
私の剣幕に驚いたのか、それとも、何かを勘違いしたのか、I氏は青封筒(注:スタッフや大手サークル代表に与えられる、特別な参加申し込み封筒)を差し出したが、私はそれを突き返した。
私は物乞いではない。
あまりにも不愉快だったので、私はI氏が何をやったのか、経緯を他のコミケのスタッフに報告して、その場を去った。
それから何年かあと、S社が版権を持つ、ある国民的漫画の同人誌を発行した同人作家が、S社から著作権侵害を指摘されて、本を破棄する事件が起きた。
その事件が果たして、私が遭遇したS社員と同人作家たちの一件と関係があるかといわれると、もはや確認する方法がないので「不明」である。
後になって分かったことだが、そのS社員は、S社の「法務部」に所属していたようである。
コミケのI氏はというと、今も準備会にいる。
ここで自分の個人的な見解をいうと、私は二次創作の同人誌が決して嫌いではない。
若いころは、月刊ファンロードや月刊アウトに掲載された二次創作を楽しんでいたクチであり、むしろ二次創作が法的に(ある程度)許容されるべきと考えている。
私は先のS社員の話を聞いて以降、二次創作についてのガイドラインの策定や、法的な許容範囲を明確にすべきという提言をしていた。提言をした相手はプロの漫画家だったり編集者だったり、ゲーム会社社員だったりといろいろである。
しかし、その活動も、2004年ごろには放棄してしまった。
というのは、私への誹謗中傷が絶えなかったからである。
同人作家たちが心置きなく創作活動に励めるようにと始めた活動が、当の同人作家たちから見ると「難癖をつけられている」としか解釈されなかったようである。
彼らは結局、自分たちの常識が誤りであることを認めなかったのだ。
我ながら報われない話だが、これが私の経験した泥仕合の一つである。
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