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2019年01月

 この世には70億を超える人間がいる。
 そして、同じ数の「常識」がある。
 常識とは、人が人生に於いて積み重ねた「偏見」や「思い込み」を総合したものに過ぎない。
 ある特定の業界で通じる「業界の常識」や、ある特定の社会で通じる「社会の常識」もあるが、つまるところ、人が自分で常識だと思っているのは、自分と、自分の周辺にいる人間との間に存在する共通した偏見と思い込みのことである。

 自分では常識だと思っている知識が、致命的に間違っている。そんな人間は、しばしば、自分の誤りを認めない。
 というか、間違いに気が付かないような人間とばかり付き合っているので、間違いが相互で増殖して、取り返しがつかないほど間違っている状態になる。
 そうして、仲間内の常識はしばしば世間の非常識になっている。
 非常識を自覚しない集団に向かって、外部の人間が「それって変じゃない?」というのは、困難が伴うのだ。そう、つまり、泥仕合だ。

 世の同人誌は二次創作が非常に多いけれど、本来的に二次創作は、著作権を持っている当人が許可しているのでなければ、本来的にグレーゾーンであり、明確に「不許可」を宣言すれば、ブラックである。現状では。
 これは法律上の常識である。
 ところが、二次著作の同人誌を発行している同人作家は、しばしばこのことを認めない。
 これが、たいへん面倒くさい事態を引き起こすのだ。

 ライターとして活動していたころ、私は少し頭が回ることで知られていて、ときおり、編集者や出版業界関係者から相談を持ち掛けられることがあった。
 2001年だったか、2002年だったか、正確な時期は覚えていないが、ある年のコミケで会場をうろついていると、大手出版社S社の社員を名乗るスーツ姿の男性から、一つの相談をされた。
「同人作家に二次創作を止めさせる方法は何かないだろうか?」

 彼の話は、要約するとこういうことだった。
 彼によると、二次創作エロ同人の問題は、版元の方がPTAを始めとする団体に叩かれるということらしい。
 たとえば、子供のいる主婦が、書店でS社の子供向けの漫画を見かけて、買ったとする。
 ところが、その「子供向けの漫画」は、主婦が内容を確認すると、エロ漫画だった。正確にはエロ同人誌だったとしよう。
 その主婦は、その後、どうするか?
 彼女は同人誌の存在なんて知らないので、エロ同人誌の発行元はS社だと断定する。
 そして、S社にクレームをつけるのである。
 さらに、その主婦がPTAにエロ同人誌を持ち込んで「S社は子供向け漫画でこんなものを描いている」と告発(!)したとしよう。事態はもっと深刻になる。
 PTAの代表が、同人誌を片手にS社に押しかけて「責任者を出せ!」と受付ににじり寄るわけだ。
 S社は子供向けの教材や出版物で利益を得ており、PTAを怒らせるのは死活問題である。だから無視するわけにはいかない。しょうがないので、最初は漫画の担当編集者、次は編集長、その上司、そのまた上司と呼び出されて、説明をさせられることになる。
 しかしいくら説明しても、同人誌の概念をPTA代表に理解してもらうことはできない。
 理解したとしても「それを取り締まるのはS社の責任」と強弁してくる。
 結局はS社が責められる。
 もちろんPTAの相手をしているS社の社員は、本来やるべき自分の仕事ができない。
 二次創作同人誌の責任を、S社で取らされるのは、たまったものではない。

 そういうわけで、そのS社社員の相談に戻るのである。 
 私の知人には同人作家がけっこういて、先に話題にした漫画家のA氏も二次創作エロ同人で食ってる状態だった。そういう人たちから飯のタネを奪うわけにはいかない。
 しかしS社の言い分もわかる。
 それはそれとして、S社社員の話を聞いているうちに気が付いたのは、おそらく近年中に、何らかの取り締まりが行われるであろうということだった。

 私はとりあえず、S社社員の話を適当に相槌を打って終わらせると、この情報を拡散させることに決めた。
 S社にとっても、本心では手間のかかる取り締まりなどやりたくないのだ。
 同人作家側としては、告訴されて罰金支払いなどしたくないだろう。
 というわけで、同人作家たちに情報を拡散して、S社が版権を持っている漫画の二次創作同人誌を当分は自粛した方がいいと伝えることにした。
 問題を先送りしてるだけなんだが、誰も損をしない無難な選択ではある。
 ところが、これが予想外の困難にぶち当たるのである。

 人は、自分の願いどおりのことを信じる。
 そういったのは確か、ローマのカエサルだっただろうか。同じような発言を、過去のさまざまな偉人がいっているので、オリジナルが誰の言葉なのかははっきりしない。
 この言葉に示される真実は、当たり前といえば当たり前だが、なかなか自覚できないものだ。特に、当人にとっては。
 私は過去に、詐欺師の話をしたけれど、詐欺師に騙されている人に向かって、真実はこうだと教えることは、しばしば非常に困難だ。詐欺師は人が望んでいる嘘をつくからだ。
 ネットでは、政治、経済、サブカルチャーなどの各分野で、大小さまざまな議論が沸き起こっているけれど、これらの議論によって他人の考えが変わるということは、まずあり得ない。相手の願望を理屈で崩すことは不可能だからだ。
 そんな困難なことを、やらないといけない状況というのは、最初から泥仕合が確定している。
 できれば避けたいものである。

 ――と、そう思いながらも、私は過去何回も、そのような状況に直面している。
 詐欺師を告発し、騙されている人に真実を教えようと悪戦苦闘したのは、まさしく泥仕合だった。
 私がこれまで話してきた、そしてこれからも話し続けるであろう話は、そうした泥仕合の記録である。

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